みなさま、大変お待たせしました(汗)
”英国一のコメディアン”と豪語するリッキー・ジャーヴェイスを、(需要もないのに)眉毛をコイル巻きにしながら観察する、”日本唯一のサイト”Go Johnny Go Go Goでございます。
あれだけ昨年騒ぎを起こしたリッキー・ジャーヴェイスが三たびの司会ということで、話題騒然となったゴールデングローブ授賞式が先日1月15日に行われました。
はじめ、なぜにまたもリッキーなのかと思いましたが、
リッキーを懲りずに起用すれば、話題性、視聴率もあがるわけですもんね。
ちなみに、リッキーのツイッターのフォロワーが150万を超えてます。このなかにはアゲアシトリを狙っている人たちが多く存在し…… 好きかどうか、評価されているかどうか、は別にしてこのレベルで注目を浴びる人材は、やはりなかなかいない・・・ですよね。
起用の理由にピッタリですよね。(毒はいてるわけじゃないですよ~~ )
ともかくですね、
去年のアレ、を踏まえて、
リッキー・ジャーヴェイスが芸人として、エンタティナーとして、どうオープニングスピーチをやりとげたのか、
非常に興味深いところだと思い、考察してみました。
あ、固い内容ですので、ご了承ください。(汗)
一応たたんでおきますので、ご興味のある方は、ぜひ 続きを読むをクリックしていただければ、嬉しいです。
(あくまで推測入った、一個人の考察ですのでご了承ください。)
まずは、2012年のオープニングのスピーチ
そして昨年2011年のオープニングのスピーチ
観る側の心理状況の変化これが一番大きいと思います。昨年のことがあったから、お茶の間のあなたも私も、会場にいるあのセレブもこのセレブも、みんながみんな「構えて」「期待して」待ってるわけです。予測・期待は笑いの「ABS/エアバッグ・システム」です。そしてそれは、笑いづくり、とくにキャラクター・ベースの笑いづくりにおいて、非常に有効な武器となります。
どういうことかというと、
リッキー・ジャーヴェイスがthe officeを作れたのは、本人自身が(the officeの)ディヴィッド・ブレントだったからこそなんだ、と昨年ウェブマガジン他でさんざん言われていたせいもあり、
多くの人は頭のどこかに、「リッキー=ディヴィッド・ブレント」とインプットしている。
その状態で、さらに「来るぞ~、来るぞ~。失礼きわまりない不快なスピーチが来るぞ~」と構えている。
つまり観客には、リッキー・ジャーヴェイスのしゃべりを「キャラ」ベースのジョークとして受けとめる体制ができているのです。
これは、昨年には絶対になかった環境です。
個人的には偶然の産物だと思っています。
リッキーがはじめから、ここまで計画を立てて行動したとは思えません。
ただし、リッキーは本当に先見の目がある芸人さんなので、
この状況をすばやく察知して、上手に利用する方向に進んでいるのだろうと推測します。
というわけで、例えば、今年も開口一番「
イギリスで一番の芸人が司会するアメリカで2番目に大きなアワードを、アメリカで3番目に大きな放送局にて放送。。。あ、4番目?。。。アメリカで4番目に大きな放送局だそうです」。
オレ様が一番、オレ様が、オレ様が。。。永久オレ様なキャラを全開で見せつけます。が、前述のとおり、「なんだ?コイツ」というような不快なセリフになりません。
☆2011年のスピーチと比べ、明らかに違う2012年のスピーチ。 2011年では、ジョニデの「ツーリスト」について「観てないのに、オチョクるのに罪悪感が……(まあ)誰も観たいと思わない映画だけど、ノミネートされてるんだから、傑作ってことでしょ?違うの?」というコメントが話題になりましたが、こういった、やみくもに(ある意味、根拠なく)悪態をつく、ということがなくなりました。
アワード自体や放送局に対する皮肉や毒舌も、前年度の騒動を踏まえた上ですし、最後にナタリー・ポートマンをおちょくっていますが、こちらも毒吐くなりの根拠がある(妊娠、出産、活動停止 笑)。*ちなみに、ジョニー・デップが登壇したときも、完全に前年度を踏まえて「「ツーリスト」観た?」とジョニデに質問してますね。
悪態が笑いへとつながるには、悪態をつくに値するそれなりの根拠が必要なのだと、あらためて認識できます。
さらに、大きく変わった点は、褒めるところは、褒めているところ。
「Boardwalk Empire」を大好きな番組といい「Bridemaids」も大好きと言ってます。
聴く側にとって(根拠があって)認めている作品があれば、根拠なくなんでも悪態をつく人じゃない=悪態をつくにはそれなりの理由がある、という思考回路になりやすいですね。
この[褒めるところは褒める」な姿勢は、コンサバになったのではなく、リッキーが「余裕の姿勢」を見せるためのテクニックではないかと推測します。
というのも、去年ずっと「エッジな笑いとかいって、根拠なく悪態をついているだけ。どうやったらその悪態が笑いになるかがわかってない」とプロの芸人からコメディおたくにまでさんざん叩かれていたわけです。(くわしくはthe office mattersのカテゴリーをどうぞ)そこで「オレ様の笑いがわかってないヤツら」「オレ様を妬むやつら」といって、根拠のない悪態をず~~~~~~~~っとついてたら、はっきりいって、意地張ってるだけです。
リッキーは「売られたケンカが見えないくらい上にあるすごい英国芸人だぞ」的な立ち位置を築こうとしていると推測します。さらに、自分の笑いのスタイルは「根拠のない悪態をつくばかりじゃないぞ」と見せようとしているのではないかと推測します。
全体的な感想以上の点からとても、観やすかったです。
「華やかな場所で、世界中を観客にして繰り広げるリッキー・ジャーヴェイス的エンタテイメント」だったと思います。
それが、リッキー・ジャーヴェイスのが渇望する「笑いの世界」なのかどうかは別問題ですが、少なくとも2011年でリッキーが抱えていた「ズレ」の問題は、彼のイメージの変化という、(これまた)偶然の産物により改善されたと観ました。